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大阪地方裁判所 昭和45年(わ)2802号 判決

主文

被告人を罰金五万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

本件公訴事実中業務上過失致死の点については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四五年九月一一日午前一時三〇分ころ、大阪府公安委員会が最高速度を毎時五〇キロメートルと指定した大阪府寝屋川市葛原新町一〇番地一号先道路上を、毎時約四五キロメートル超える毎時約九五キロメートルで営業用普通乗用自動車(大阪五い九二八一号)を運転したものである。

(証拠の標目)略

(法令の適用)略

(業務上過失致死罪の成立を認めなかつた理由)

一、本件公訴事実中、業務上過失致死の点は、

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるところ、昭和四五年九月一一日午前一時三〇分ころ、営業用普通乗用自動車を運転し南から北に向かい進行中、寝屋川市葛原新町一〇番地一号先道路の交通整理の行なわれている交差点にさしかかり、これを信号に従い直進通過しようとしたが、運転中は指定の最高速度(五〇キロメートル毎時)を守り、前方左右を注視し、進路の安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのに、たまたますれ違つた車両に気を奪われて前方左右の注視を怠り、右最高速度を超える時速約一〇〇キロメートルの高速度で進行した過失により、折から同交差点の北詰附近を東から西に向かい横断中の本沢一成(当時二三才)を約一八メートル手前にようやく認め、急制動したがおよばず、同人を自車前部ではねてボンネット上に乗せあげたうえ転落させ、よつて同人を頭蓋底骨折により即死させたものである。

というのである。

右事実中、被告人が右日時ころ右自動車を運転して本件交差点にさしかかり、これを南から北に向け信号に従い直進しようとした際、同交際点の北詰附近を東から西に向け横断歩行中の前記被害者に自車前部を衝突させ、前記のとおり同人を即死させたという点は、本件証拠上明らかなところである検察官は、本件事故における被告人の過失として、指定の最高速度を遵守しなかつた点と前方注視、進路の安全確認を怠つた点を主張するのであるが、当裁判所は、以下に述べるとおり、本件証拠上、被告人に右注意義務違反をいずれも認めることができるが、これらをもつて本件事故に対する過失と考えることは相当でないと思料する。

二、事実関係について。

(一)、本件交差点の状況は、別紙図面のとおり、公安委員会指定の制限速度が毎時五〇キロメートルとされた幅員約一七メートル、片側三車線のアスファルト舗装の南北車道(府道枚方守口線、旧国道一号線)と幅員約六メートルの道路が斜めに交差し、信号機によつて交通整理が行なわれているほか、交差点内は歩道上の水銀灯により夜間でも比較的明るい状態である。この交差点には、もと横断歩道がその北詰と南詰にそれぞれ存在していたが、本件事故当時には歩道橋の設置によりすでに右横断歩道が廃止され(ただ右廃止後も横断歩道を示す白線ゼブラ模様が未だ薄く残つている)、歩道上のガードレールにより北詰の横断歩道は事実上利用できないようになつている〈証拠省略〉。

(二)、本件事故当時は、降雨中でそのためアスファルト舗装の車道が湿潤していた。被告人車は本件交差点に向け第三通行帯上を走行して来て、被害者とは別紙図面の×地点で衝突した。現場には、被告人車の停止地点まで左前輪で約三六メートル、右前輪で約33.3メートルのタイヤスリップ痕が残つていた〈証拠省略〉。

(三)、本件事故当時の被告人車の走行速度について、被告人は、当法廷において毎時七〇ないし八〇キロメートルであつた旨供述しているが、被告人車に取り付けられていたタコグラフのチャート紙の鑑定によると、衝突前の速度は毎時94.5ないし100キロメートルの範囲内であるというのである(佐々木恵作成の鑑定書)から、右タコグラフが故障していた等の事情が認められない本件において、被告人車の走行速度は、右の鑑定結果から、毎時約九五キロメートルと認定するのが相当である。

ただ、被告人車の走行速度を右のとおり毎時約九五キロメートルと認定した場合、前記タイヤスリップ痕の長さとの関係が問題となる。すなわち、湿潤したアスファルト舗装道路上で、時速九五キロメートートルの車が急制動した場合、そのスキッドマークの長さは、通常952÷254×(045〜0.6)という計式で算出され、これによると約59.22ないし78.96メートルということになる。しかしながら、現場に残されたというスリップ痕は、本件事故当時降雨中であつたため、事故の直後ころになされた第一回目の実況見分時には発見できず、事故後一二時間近く経過した晴天時に見分された結果存在していたというものであつて(前掲の証人槐島勇の供述および実況見分調書)、制動当初におけるスキッドマークが消失している可能性が考えられる一方、前記計式は衝突による抵抗力を考慮していないものであることからすれば、前記スリップ痕の長さを基にして被告人車の走行速度を云々することは正確でないというべきであろう。

(四)次に、被告人は、捜査段階から一貫して、本件交差点にさしかかる手前で前照灯を上向きした対向の大型貸物自動車と離合したこと、その対向車の速度は毎時七〇ないし八〇キロメートル位である旨供述しており、これを否定する証拠はない。ただ、その対向車との離合地点について、被告人の捜査段階における供述と法廷や検証現場における供述との間に相違がある。すなわち、前者では衝突地点から約70.2メートル手前であつたとしていたが、後者ではこれを車道東側のタバコ店前であつた(衝突地点から約三二メートル手前)とする。

被害者である本沢一成は本件交差点を東から西に向け横断していたことは前記のとおりであるが、その場合、右の対向車の通過直後を横断したものと考えて差支えない。けだし、第二回および第三回公判調書中の被告人の各供述記載によると、当時対向車は三台か四台位あり、前記大型貨物自動車は最後尾の対向車であつて、第三通行帯上を直進して来たこと、同車と離合後に本件事故が発生していることから考えると、被害者が同車の通過前に横断し、車道の中央附近で佇立していたということはおよそ不自然であり、最後の南進車の通過をまつて横断したと考える方が合理的だからである。そうすると、仮に、右大型貨物自動車の通過を東側歩道上かその附近路上で待ち、その通過直後直線的に横断し別紙図面の×地点に至つて被告人車と衝突したものとすると、その間約9.8メートル歩行していることになる。そして、その歩行速度については、これを認めさせる証拠が存在していないので、被告人に有利に急いで横断したものと考えると、被害者が当時二三才の青年男子であることから最大秒速約三メートルと見積つてまず間違いないであろう。そうすると、被害者が横断を始めて被告人車と衝突するまでに要する時間は約3.2秒ということになり、被害者が横断し始めた時点では、被告人車は衝突地点から26.39メートル(時速95キロメートルの秒速)×3.2≒84.48メートル手前にいたことになる。そして、衝突地点より約84.48メートル離れた地点から被告人車が時速約九五キロメートルで北進し、一方同時に衝突地点から前記大型貨物自動車が時速約七〇ないし九〇キロメートルで南進した場合の離合地点を算出すると次のようになる。

すなわち、対向の大型貨物自動車が時速七〇キロメートルとすると衝突地点から南に約33.05ないし34.99メートル、時速八〇キロメートルとすると衝突地点から約37.77ないし39.99メートル離れた地点であるということになろう。右の計算は、被害者が第三通行帯上を走行していた右大型貨物自動車の通過直後に東側歩道上かその附近から横断を始めた場合であつて、同人が少しでも車道上に出て右通過を待つていたとしたら、右距離よりも短縮されることは明らかである。

右のことから考えると、被告人車が対向の大型貨物自動車と離合したという地点は、被告人の法廷および検証時の供述の方に信憑性があるといわざるをえず、捜査段階の供述を直ちに採用することはできない。

(五)  被告人は、検面調書および第二回公判の当初において、本件交差点にさしかかる前、前記対向の大型貨物自動車の前照灯に眩惑された事実はなかつた旨供述していたが、右第二回公判中にこれを対向車に気を奪われたことがなかつたことと混同していたのであつて、事実は右前照灯の光によつて眩惑されたのである旨供述し、以後の公判においてこれを維持している。

およそ、前照灯を上向きにしたまま走行して来る対向車があれば、その前照灯の光によつて眩惑され、同車の後方はもとより自車進路前方に対する視界が妨げられることは経験則上明らかであつて、この点は、やはり、被告人自身も右大型貨物自動車と離合するまでは進路前方に対する視力を妨害されたと考えて差支えはない。

三、被告人の過失について。

さて、以上の事実から被告人の過失の有無を検討するとまず、被告人には、判示のとおり、指定最高速度が毎時五〇キロメートルとされた本件道路上を毎時約四五キロメートルも超過する毎時約九五キロメートルの高速度で運転していたことにより、制限速度を遵守していなかつた注意義務違反のあることは明らかである。また、対向の大型貨物自動車の前照灯に眩惑されたことが事実であるにしても、それとの離合後は何ら視界を妨げるものがなく、また、本件交差点内の照明度からみて、衝突地点から約三二メートル離れた地点以後前方注視を尽せば被害者を発見しえたであろう。しかるに、被告人は、捜査段階においては衝突地点から約一八メートル手前でようやく被害者を発見した旨供述し、法廷においては被害者と衝突するまで気付かなかつた旨供述しているのであり、いずれにしても発見遅滞は免れないというべきであろう。ただ、対向車と離合直後に直ちに視力が回復するかという疑問があるが、進路左側に目を落すなど対向車の前照灯の光が目に入らないように努めて運転しておれば、その離合直後ころには視力にそれ程影響がないといえよう。従つて、いずれにしても被告人の前方注視義務を怠つたため、被害者の発見が遅れたということができる。

しかしながら、被告人は、被害者を発見しうる地点、つまり対向の大型貨物自動車と離合した地点、すなわち衝突地点から約三二メートル手前で、前方注視を尽して被害者を発見したとしても、時速約九五キロメートルの走行であるから、ときすでに遅く、本件事故を回避することができないことはその制動停止距離からみて明らかである。そして、また制限速度である毎時五〇キロメートルを遵守して走行していた場合を考えても、本件事故を回避しえたか問題である。すなわち、湿潤したアスファルト舗装道路上を時速五〇キロメートルで走行中急制動した場合の制動停止距離は、

13.89(時速50キロメートル)×0.75(空走時間)≒10.42(空走距離)

502≒(254×0.45〜0.6)≒21.87〜

16.40(制動距離)

(制動停止距離)=10.42+21.87〜

16.40=32.29〜26.82

通常約26.82メートルから32.29メートルを要することになり、果して被害者との衝突を避けえたか疑問といわねばならず、まして、対向車との離合直後にすぐには視力が回復しないとすればなおさらということになろう。

以上のとおり、本件において、被告人が前方注視を尽し、かつ制限速度の毎時五〇キロメートルを遵守して進行していたとしても、本件事故を回避しえたと断言することは困難である。そうすると、被告人に前記注意義務違反を認めることができるにしても、本件事故はそれと関係なく発生したものということになり、右不注意をもつて本件事故に対する過失ということはできないことになろう。

この点、制限速度を遵守して走行しておれば、対向車との離合地点はもつと南側になり、従つて、毎時五〇キロメートルの制動停止距離外で被害者を発見し得、本件事故を回避しえたという主張も考えられるが、果してそのようにいいうるかは問題であり、仮にそのような理論が成り立つとすれば、極端な場合運転をしたこと自体に過失を認めることになつて、限度がないことになろう。運転者の過失責任を問う場合には、具体的な危険が発生した時点以後の過失行為を問題とすべきであつて、本件においてそれは、被告人車側からみれば、対向車と離合した地点ないしは対向車の前照灯に眩惑された地点以後を基準として考えるべきである。

対抗車の前照灯に眩惑された地点では、前方注視義務は問題にならないが、このときに制限速度以下の速度ないしは徐行程度にまで減速しておれば、或いは本件事故を回避できたかも知れない。しかし、この点は、検察官において被告人の過失として主張していないところであり、仮に右主張があつたとしても、本件事故当時被告人車の進路前方の対面信号は青を表示しており、しかも、本件交差点は、前記のとおり、歩行者が車道上を横断することを予定していない状況であつたから、被告人としては、本件交差点において信号を無視してまで車道上を横断するような歩行者のあることまでも予側して、制限速度以下ないし徐行する程度にまで減速すべき義務はないというべきであろう。

四、以上のとおりであつて、結局、本件公訴事実中業務上過失致死の点は犯罪の証明がないといわねばならない(業務上過失致死の訴因と判示道路交通法違反の訴因とは、後者が前者の過失内容の一部として起訴されているにすぎないから併合罪の関係にある)から、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し右の点について無罪の言渡をする。(逢坂芳雄)

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